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~ Isami Cafe ~ へ
本日のコーヒーは、「マンデリン G 1」です。
赤道を中心として、広大な地域の島々のあるインドネシアは、ジャワ島、スマトラ島等でコーヒーが産出されています。なかでも、トラジャカルトのアラビカ種は、幻のコーヒーと呼ばれ名品で、香りに優れ、コクも十分。美味しい苦み優先のコーヒーです。このコーヒーをリクエストするお客様にもご満足頂いております。幕末期、15代将軍徳川慶喜公も大阪城で、在阪の外国大使に振る舞っていたと伝えられています。
どうぞ、ごゆっくり お楽しみ下さい。
8月上旬、スポーツニッポン新聞社より、連載記事「ヒーロー巡礼。ありがとうを伝えたい」のコーナーで「新選組局長近藤勇の墓」を記事にしたいので、インタビューをお願いしたい旨、連絡がありました。
8月14日、上記の件にて記者の訪問を受け、取材に応じました。記事は「多くの功績を残した偉人の墓所を訪ね、自身の終活を考える一助なる記事にしたいとの事でした。
宮川家と近藤勇との関係、人物像、逸話など、いくつかをご紹介しました。近藤勇が生涯を通して貫いた「尽忠報国 尊皇攘夷」の志について説明しました。
幼少期より憧れていた、三國志、楠木正成、加藤清正など忠孝の臣に心を寄せ、「史記」や「日本外史」などを読み、漢学を学び、剣術をたしなみ、いつの日か国の為、お役に立ちたいと宿願にしていました。
新選組局長となってからも、京地にあって初志一貫、朝廷を守り、幕府を助けて、国を守る大義の為、奔走しました。
そして、時勢が大きく動き、勇達は志半ばにして生を終えました。その生き様、死に様に私達子孫は心から敬愛し、誇りにしている事をお話しました。
慶応4年(1868年)4月25日、刑死した近藤勇の遺体は、28日の夜半、後年婿養子になる甥の勇五郎らが、つてを頼って掘り起こし、夜を徹して大八車にて運び、夜が白々と明ける29日の早朝、生家近くの野川に架かる相曽浦橋に到着。家族総出で迎え、大声で泣き、慰めるなか、菩提寺の大澤山龍源寺住職に守られ、裏の杉林にひっそりに埋葬されました。
この情景は、後年に婿養子になった近藤勇五郎叔父さんの語りを龍源寺住職の林正禅和尚さん著した「近藤勇略伝」に認めてあります。