7月14日、戊辰の役、東軍、西軍の雌雄を決っした激戦が行われた白河市で、「蘇る仁のこころ]合同慰霊祭が行われました。
この慰霊祭は、徳川恩顧の東北諸藩藩主のご子孫をはじめ、鹿児島、山口、高知、萩、桑名などの各市長、政界、財界の関係者など文字通り、立場を超えて一堂に会した盛大な慰霊祭でした。
私どもも、新選組子孫としてご招待いただき、長男が代理で、末席に座らせていただきました。
この白河決戦では、東軍、西軍合わせて、1000人を超える犠牲者が出ました。
会津軍は、家老西郷頼母を大将に奮戦しましたが、火力の差は如何ともし難く敗れました。新選組も斎藤一を先頭に戦いましたが、多くの犠牲者を出し、会津へ退き、捲土重来を期しました。
市内の、激戦地には多くの慰霊碑が建ち、今なお戊辰の痛みが残っています。
江戸城開城で終結したはずの内戦を、4ヵ月を経てもなお、この地まで無益な戦を続けたのか、西郷隆盛など、時の為政者に語ってもらえれば、、霊も浮かばれるでしょう。
戊辰150年、いまだかって無かった東軍、西軍分け隔てない「蘇る仁のこころ合同慰霊祭」が白河で執り行われました事、誠に意義深く、縁者として心から御礼申し上げます。
誠に有難う御座いました。