4月20日、板橋駅前の壽徳寺境外墓地にて執り行われました、近藤 勇百四十七回忌・新選組諸隊士供養祭に参列しました。式は壽徳寺ご住職一同の入場後、新選組友の会 大出氏の司会で始まりました。厳かな読経が続く中、新選組関係者、多くの研究者、ファンの方々にご焼香いただき近藤 勇 縁者として心より御礼申し上げます。有難う御座いました。
この境外墓地に建つ新選組慰霊碑は近藤勇、土方歳三をはじめ新選組百十余名の名前が刻まれており、永倉新八の発起により、松本良順が施主となり、時の明治政府へ数度にわたる働き掛けにでようやく明治9年(1876年)に建立されたものです。
永倉新八は天保10年(1839年)、松前藩江戸屋敷にて生まれました。この年、近藤周斎は市ヶ谷柳町に天然理心流 試衛館道場を構えました。なんとも不思議な縁ですね。永倉新八は、長じて文久元年(1861年)頃から試衛館道場の食客として近藤勇達と起居を共にして交わりを深めてゆきました。その後はご存じのように、浪士隊として上京、新選組結成、二番隊組長として市中警護に活躍、幕府崩壊後、松前藩に帰藩を許され明治、大正と存命、大正14年、77歳で死去されました。 今日の新選組研究の礎となる資料は永倉新八の記述によるところも多々あり、彼の功績と言っても過言ではありません。
また、明治21年(1888年)に高幡不動境内に建立された 「殉節両雄之碑」 も永倉新八、松本良順の尽力が大きかった云われております。