4月10日、流山 長流寺にて執り行われました、第13回 近藤勇忌に出席しました。
今回も、流山市長を初め、流山歴史文化研究会、新選組研究者、ファンの方々、新選組ご子孫、天然理心流門人達大勢のご列席をいただき近藤勇忌が盛大に執り行われました。
ご住職の厳かな読経が続くなか、皆様の近藤を偲んで心からのご焼香を頂戴致し、勇生家の子孫として誠に有り難く厚くお礼申し上げます。
近時、明治期よりの幕末史観もようやく見直され、幕末動乱時、欧米列強の外圧から日本を守らんとした、徳川幕臣達の活躍も注目されて参りました事は、大変喜ばしいことと思います。
勇も 「志は、天朝を奉じ、躬は大樹公に志願して、攘夷の魁たらんとして上洛し・・・」 と
故郷に手紙を書いていました。
勇の心根は、最後まで 「尽忠報国・尊王攘夷」 でした。 慶応4年(1868)4月25日、板橋刑場にて、無念の気持ちを胸に秘め、東の方角に一礼し、座して太刀を受けました。 「只、将に一死を以て君恩に報いん」 の辞世を遺して。享年35歳。
誠心の武士道を貫いた近藤勇を私共は、心から尊敬しております。
近藤勇忌の後半は、日本刀文化振興協会相談役 河端 照孝先生による 「近藤勇の佩刀と首級の埋葬地」 についての講演を拝聴させていただきました。
会津小鉄一党により勇の首級は京都から会津へ送られた事、松明を掲げて歳三が迎えた事など、貴重な資料を元にした説を伺いました。
多くの方々が近藤勇について、研究して頂けます事は、大変うれしく思っております。今後とも宜しくお願い申し上げます。
本日は、流山歴史文化研究会 大出様をはじめ、関係者の皆様のお力添えをいただき、第13回の近藤勇忌を執り行われました事に、近藤勇生家子孫として重ねがさね、心よりお礼申し上げます。有難う御座いました。
どうぞ、来年も宜しくお願い申し上げます。