いらっしゃいませ ! ようこそ、~ Isami cafe ~ へ。
本日のコーヒーは、アサマ キリマンジャロです。
英国王室御用達で、香りに優れたフルーティーな酸味が心地よく、
楽しいコーヒータイムを感じます。
キリマは 「山」 、ジャロは 「輝く」 の意味です。
どうぞ ごゆっくりお寛ぎください。
6月9・10日の両日、念願だった、伊勢神宮、熊野三山の那智大社、青岸渡寺、熊野本宮大社、熊野速玉大社をお詣りして来ました。心に残る充実した旅でした。
6月9日、一日目
20数年ぶりに、「こだま」で三河安城へ、ツアーバスで伊勢神宮へ。内宮の正宮へお参り。 生憎の雨でしたが、多くの参拝者で行列が出来ていました。
名物の「赤福」を一皿いただき、南紀串本へ。
6月10日、二日目
本州最南端、潮岬で地球の丸さを感じる水平線を眺めて、いよいよ熊野三山へ。
熊野詣では、遠く奈良時代(700年代)より盛んに行われ、「伊勢に七度、熊野へ三度」といわれる程、厚い信仰心に支えられ、心の拠り所として、現代に至るまで脈々として続いています。
資料によれば、菅原道真公が太宰府に左遷された頃の平安時代中期(900年代)、延喜7年(907年)、宇多法皇が皇族として初めて熊野詣でを行い、以来、歴代の法皇、上皇のあいだで熊野御幸が盛んになり、かの後白河上皇も熱心にお詣りし、なんと、最高の34回も御幸したとの記録があります。
当時の熊野路は、大変な難行、苦行の連続でしたが、この「行」で体得した「悟り」と熊野の自然から授かる不思議な「力」を知り、多くの人達から信仰を集めていました。
那智大社の隣に、神仏習合の一大修験道場だった那智山 青岸渡寺があります。西国一番札所で、ご本尊は如意輪観音様です。
実は、宮川本家も古くから、如意輪観音像をお祀りしています。
慶応4年(1868年)4月25日、板橋で、近藤勇の処刑を見届けた勇五郎が、すぐさま宮川家へとって帰り、この様子を報告すると、本家、分家一族ことごとく仏間に集まり、かねてより覚悟はしていたものの、嘆き、悲しみ、お灯明をあかあかと灯し、夜っぴて観音経を唱えて、勇の霊を慰めたといわれています。
本日、初めて、お参りした青岸渡寺のご本尊と宮川家のご本尊が一緒とは、何ともいえない不思議なご縁を感じ、そっと手を合わせ、お礼を申し上げました。
「熊野権現」は神仏一体で、貴賎、男女、浄、、不浄の分け隔てなく、誰でもを受け入れていた聖域でしたので、多くの人々が、こぞって熊野詣でを行っていたようです。
近藤勇も「熊野権現」には崇敬の念が厚く、天然理心流に入門するにあたり、差し出す「神文帳」(佐藤彦五郎家に現存)の中で、心得として、勝手に流儀を他人にもらすな、! 勝手に他流試合はするな! 等々数条に亘って厳しくいさめており、その上で、この約束事を守れない門人は、天神、地神、熊野三社大権現、鹿島神宮の天罰を被る と認めている程です。
熊野本宮大社 御本殿に、静かに向き合い、手を合わせ、拝礼しました。1,000年を超える時を刻んだ巨木が茂る境内は、なんとも清々しく、胸一杯に空気を吸い込みました。目をとじると、私をふところ深くつつみ込んでくれ、本日のお参りをしっかり受け止められているのが分かりました。
あらためて、勇の神を尊び、天然理心流を愛する真っ直ぐな心根を知り、私も、心して稽古に励む事を誓って、頭を垂れました。
「頼むぞっ!」、力強く勇から「気」が送られて来ました。
新宮の熊野速玉大社 略記によれば、熊野信仰は、自然信仰を原点として、仏教伝来とともに(500年代?)、早くから神仏習合が進み、修験道の行場として栄え、熊野古道を巡ってする難行は 「人生の再出発を踏み出す勇気と覚悟、強く生きる力をもう一度いただく「行」でもあります」 と記されています。
今日も、老若男女の方々、おもいおもいに熊野古道に踏みだされて行かれました。
邪念・邪心を洗い流し、再び自分らしさを取り戻し、よみがえらせてくれる聖地。 ここが熊野。 人気の程がわかります。
下り坂の人生が、もう一度、若返りへ。楽しみが続きそう。 元気の内に、熊野へ三度。
有難う御座います。 よろしく。