令和4年(2022年)11月22日、2年振りに鎌倉へ。鎌倉五山を巡って参りました。

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 本日のコーヒーは、「モカマタリ No.9」です。

 コーヒールンバでおなじみのモカマタリはアラビア半島の北イエメンで産出されています。イエメンは「幸福なアラビア」と呼ばれています。このマタリは生産・供給が不安定で、日本では貴重品的な存在。優れたアロマを持つ、この国のコーヒーはモカコーヒーの逸品として、愛飲家を満足してくれています。なかでも、このNo.9はマタリの最上級品です。

 どうぞ、ごゆっくり お楽しみ下さい。

11月22日、2年振りに古都鎌倉を訪ね、念願だった鎌倉五山を巡ってきました。

 NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」が評判です。源家、北条家ゆかりの寺院が多い鎌倉。とりわけ有名な鎌倉五山は、この日も多くの見学者、参拝者でにぎわっていました。

 鎌倉五山とは、鎌倉における臨済宗寺院の格付けで、鎌倉時代の後期に普及し、室町幕府第3代足利義満の時代に制定されました。京都南禅寺が別格として据えられ、鎌倉五山第1位は建長寺、2位は円覚寺、3位は寿福寺、4位は浄智寺、5位は浄妙寺。いずれも鎌倉時代、室町時代に創建された名刹です。因みに京都にも、臨済宗寺院の京都五山が格付けされています。

 JR北鎌倉駅改札口を出ると直ぐ隣が円覚寺。鎌倉五山第2位。紅葉が始まった境内は、すでにカメラ、ノートを持参した多くの見学者、参拝者で拝観受付は長い列。壮大な総門をくぐると参道が真っ直ぐに伸び、山門、仏殿、方丈へと続きます。

寺略によれば、弘安5年(1282年)、時の鎌倉幕府執権北条時宗によって創建されました。

 建立の目的は、1274年、1281年の2回にわたる蒙古来襲「元寇の役」で戦没した霊を敵、味方なく弔う事でした。その後、長い歴史を経る中、幾度となく火災等の災害に会い、寺領も衰えましたが、徳川時代の後期に伽藍が復興し、多くの雲水、居士が参禅し、信徒も増え基礎が固まり、以降、今日の円覚寺となりました。今も大勢の人々が参拝し、親しまれ、安らぎをいただける「心の寺」として、厚い信仰に支えられています。

 大方丈前の池の端に立ち、しばし北条、足利の時代に想いをめぐらせいると、静寂な道場でひたすら座禅を組み、修行する僧侶への「警策」の鋭い響きが聞こえてきそうでした。

 円覚寺を辞して、北鎌倉駅前の踏み切りを渡り鎌倉街道を少し歩くと浄智寺。鎌倉五山第4位。弘安4年(1281年)、執権北条時頼によって創建されました。お話しをうかがうと、鎌倉五山第4位の格式の高さが偲ばれます。

 創建初期は、広大な境内に三門・外門・方丈・行堂・僧堂など主要な建物が建ち、多くの塔頭も建ち、数百人もの僧侶が修行していたとの事。現存する建物は、中国の名僧を招いて開山した縁で、中国伝来にならい鐘楼門や本堂は「宗風」様式がとり入れられ、往時の名残を見ることが出来ました。
 偉容をを誇った七堂伽藍、三門、塔頭なども900年を超える年月を経ると度々の火災、地震、或いは時勢の変革等に遭い、徐々に衰退し、今日の姿ではありますが、鎌倉五山第4位の格式の高さは鎌倉・室町時代の実物を見て、心を打つものが多々多々あります。

 参道入口には、有名な鎌倉十井「甘露の井」があり、山門を入り、鐘楼門をくぐると本堂を囲むように竹林、「やぐら」、庭園、七福神像があったりと散策路が整っていて、往時の建物を、修行僧に思いを馳せながら、ゆっくり歩けます。

静かなたたずまいの浄智寺から鎌倉街道に出て、鶴岡八幡宮へ向かって歩いて5分ほどで、

鎌倉五山一位 建長寺

創建は、建長5年(1253年)で、開基は鎌倉幕府五代執権北条時頼。我が国最古参の禅寺です。初代住職は、中国の宗から招かれました。

 境内は、中国宗時代の禅寺寺院を模した総門、三門、仏殿、法堂、方丈などの建物が参道に沿って真っ直ぐ並んでいます。

 建長寺も創建以来、800年もの長い年月の歴史の中、幾度となく大火に見舞われ、その多くを焼失したり、時代に翻弄され、長く困難な時期が続きました。ようやく国情が安定した江戸時代、幕府の保護を得て、伽藍が再建、復興し今日になりました。往時、数百人もの修行僧が行き来していた境内の建物からは、今も鎌倉・室町時代の息遣いを目に、耳に、手に、全身に感じます。

 凄い! 素晴らしい! 感嘆の声が。 壮大な総門、山門、仏殿を見上げながら。鎌倉・室町時代を振り返りながら。今日も、多くを語るのをはばかります。ただ、ただうなずくばかり。

余談です。建長寺の横手から裏山への道をたどると、鎌倉天園ハイキングコース。途中の展望台からは、晴れていれば遠くに富士山を、近くに鎌倉の海を見ることが出来ます。少々しんどいが、コンディションのいい方は、一度、登られてはいかがでしょう。 これも修行。

 建長寺から鶴岡八幡宮へ。小町通りに入ると「寿福寺」の案内標識に導かれ5分程歩くと、

鎌倉五山第三位の格式を持つ「寿福寺」

創建は鎌倉時代の正治2年(1200年)開基は北条政子です。開山は明庵栄西禅師。日本における臨済宗の始祖として、歴史上でも有名です。寿福寺は、現在、一般公開されていません。

山門から少し入ると中門、その先は残念ながら立ち入り禁止です。真っ直ぐ伸びた石畳の参道奥に仏殿が静かに建ってます。右手には鐘楼も現存しています。庭園は木々も繁り、手入れが行届いています。人影もなく、ひっそりとたたずむ仏殿裏の「やぐら」には、北条政子、源実朝のお墓があると言われています。

 創建当時の寿福寺は、広大な敷地に七堂伽藍が建ち、20を超える塔頭を有する禅刹でした。大勢の僧侶が座禅を組み、修行する伽藍は偉容を誇っていた事でしょう。しかし800年を超える年月の歴史の中、幾たびかの火災、天変地異に見舞われ、次第に衰え現在に至りました。

 今日、初めて拝観し寺略を読みました。北条政子も歩いていたであろう境内に立ち、七堂伽藍が有った辺りに、塔頭が建ち並んだいた辺りに、想いをめぐらせると鎌倉五山第三位の格式の高さを実感し、感動しました。

 鶴岡八幡宮前からバスで浄妙寺へ。バス停を降りると目の前が

鎌倉五山第五位の格式を持つ浄妙寺

創建は、文治4年(1188年)、開基は足利義兼。源頼朝の忠臣で豪勇の武士でした。総門をくぐり、石段を登ると本堂。一見して鎌倉五山の品位、風格を漂わせているのを感じます。本堂は、創建以来800年もの時を経て、落ち着き、穏やかにたたずんでいます。

 寺略によりますと、至徳3年(1386年)足利義満が、鎌倉五山の制を定めた頃は広大な境内に、外門、総門、仏殿、方丈、禅堂などの七堂伽藍が建ち、多数の塔頭を有する大寺院でしたが、長い歴史を経る中、火災、天変地異等に遭遇し、徐々に消失しました。現在は総門、本堂、客殿、庫裡などで伽藍を整えています。
 静かな本堂に向かい手を合わせ、耳を澄ますと過ぎ去った鎌倉・室町時代、多くの僧侶が修行していた頃の思い出話しを懐かしく語っているようでした。石段を下りながら振り返ると、本堂が和やかに見送ってくれました。

本堂横手の坂道を少し登ると、大正年間より営業している洋館の「石窯ガーデンテラス」があります。鎌倉五山巡り、疲れた身体に美味しいコーヒーをいただきながら一休み。 格別。

 テラスを出て、坂を下ると天正年間(1500年代)、大勢の僧が修行の合間に一同に会し、お茶を喫したと言う「喜泉庵」があります。眼前の庭園は杉苔を主とした枯山水です。縁に腰掛け抹茶をいただきながら、鎌倉・室町時代の折々を間近に見、聞きした感動に浸るのも、また良し。 ご一考を。

 朝、円覚寺より始まりました鎌倉五山巡り、浄智寺、建長寺、寿福寺、浄妙寺まで拝観し、寺略をお聞きしながら、ほどよく歩いた4時間余。カフェテラスでコーヒーをいただきながら、一日の修行を終えた心地良さに浸りました。

 鎌倉・室町時代に興隆を極めた鎌倉五山の各寺院、長い歴史を経る間、幾多の災害、世の混乱に遭遇し、徐々に衰退、或いは保護を受け、信仰に支えられて現存し、人々の安寧な日常を願い、祈りを続けながら、今日に伝えるべく歴史を語っています。目に、耳に、手にした時代の体感は感動的でした。まさに「温故知新」。鎌倉五山巡りの旅でした。

 今日も鎌倉銘菓「鳩サブレ」を買いました。 これがまた楽しみ。 皆が待ってます。

 有り難う御座いました。 

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