4月24~25日の2日間、会津 天寧寺にて執り行われます近藤勇忌に合わせ、戊申戦役の激戦地、白河・会津を訪ねて参りました。
24日早朝に出立致し、白河藩小峰城を見学。先の震災にて崩れた城壁等は、12月復元を目指して改修中。遠くに残雪の会津の山々を望みながら、会津藩の拠点として勇ましく戦った藩兵達の勇姿が偲ばれます。
白河口に位置する稲荷山は最大の激戦地となり、まさに東軍・西軍の雌雄を決する一戦となりました。会津藩家老 西郷頼母総指揮のもと、会津藩士を主力に奥羽列藩同盟軍、新選組等全軍勇猛果敢に戦いましたが、薩摩・大垣藩などの西軍との武器、火力の差は如何ともしがたく、この地での戦に敗れました。白河での戦いは五月から始まり七月の末までおよそ100日間にわたり、資料によると東軍927人、西軍113人の戦死者が出ました。
麓には両軍兵士の碑が立っています。
その後、奥州三古関の一つ、「白河関」跡 を見学しました。白河関は、松尾芭蕉の奥の細道などでつとに有名ですが、ずっと以前の奈良時代から置かれていた国境の関で、人や物の往来を 取り締まっていた重要な関所でした。また、和歌の名所として都人のあこがれの地で、能因法師や西行法師、芭蕉、曾良達など多くの歌人、俳人たちが和歌や俳句を残しています。
夕方、会津に入り夕食後、鶴ヶ城へ夜桜見物に出かけました。ライトアップされた鶴ヶ城と満開の桜、その美しさにしばし感歎の声を上げました。温かさに誘われて人出も多く、賑やかに宴会に興じている方も多かったです。
25日。好天に恵まれ、朝のうちに鶴ヶ城、お堀周辺を散策。満開の桜は期待に違わず素晴らしい光景でした。
天守閣から見る会津の家並み、未だ残雪を頂く越後、庄内の山々。決選が間近に迫った松平容保公はじめ藩士達の心中を思うと、ついつい欄干を握る手に力が入りました。
11時より天寧寺ご住職の厳かな読経のなか近藤勇忌が執り行われ、昨年に引き続き参列させていただきました。
この供養祭は会津若松ライオンズクラブ、会津新選組同好会をはじめ有志の皆様のお力添えにより、40数年前から行われており、近藤勇縁者として誠に有り難く心よりお礼申し上げました。
終了後、鶴ヶ城近くの家老 西郷頼母邸跡、飯盛山近くの旧滝沢本陣を見学しました。松平容保公の見送りを受け、元気よく出陣する白虎隊士達の勇姿を想いながら帰路につきました。
今回のブログは少々長くなりました。これからも私共は殊の外、会津藩とのご縁を大切に、大事に守って参ります。