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本日のコーヒーは、「ペルー マチュピチュプレミアム」です。
ペルーにある世界遺産「マチュピチュ」は標高2400㍍、インカ帝国の遺跡です。生産地のインカウァイ村は、標高が2000㍍と高く、害虫もほとんどいません。100%天日乾燥です。等級はG1。品種は、ティピカ種、ブルボン種など。後味は、フルーティーで、フローラルな香り、スッキリとした味わいでほのかな甘みがあります。
今日も、ごゆっくりお楽しみ下さい。
9月29日~10月1日まで、ツアー会社主催の「ぐるっと琵琶湖たっぷり周遊3日間」に参加、竹生島、彦根城、石山寺、比叡山などを巡って来ました。
9月29日 東海道新幹線で岐阜羽島駅に。ツアーバスにて近江長浜へ。
北国街道の「長浜」は中世から大変栄えた宿場町。北前船で運ばれてきた
諸国の海産物、農産物の多くが越前の港に陸揚げされ、陸路、海路を使って
京、大坂に運ばれ商いされましたが、その中継地として重用されました。
今でもその名残が街中の随所に見受けられ、多くの観光客が訪れています。


また、戦国時代、織田信長と浅井長政が天正元年(1573年)に1カ月に
わたり合戦した地として有名。
午後は、「琵琶湖周航の歌」が流れる竹生島クルーズ観光船で、神秘とロマン、
神の住む島と呼ばれる竹生島を訪れました。






竹生島の船着場から見あげる、日本三大弁財天の一つが祀られている宝厳寺は、
汗をふきふき160段程の「祈りの石段」を登ったところに建っています。さっそく頭を
垂れ、手を合わせ、ご縁を心から御礼申し上げました。3月に江ノ島弁財天、6月に
宮島弁財天にお参りし、本日竹生島宝厳寺のお参りし、念願が叶い、めでたく結願。
心の安らぎを感じました。
宝物殿横には「竹生島流棒術発祥の地」の石碑が。古武道とのご縁が出来うれしい。


また、都久夫須麻神社は関白秀吉が、時の天皇をお迎えするため創建した神社。
本殿は国宝です。神殿内には、桃山時代の粋を集めた天井絵、襖絵、蒔絵の柱など、
いたるところに華麗な装飾が施せれ、現存する貴重な国宝建築物です。
じっくり鑑賞しました。近くには、竜神拝所があり、眼下に広がる琵琶湖を目一杯
見ることが出来ました。
また、平家物語の一節に、平清盛の甥で琵琶の名手であった平経正が木曽義仲との
戦いに行く途中、竹生島に立ち寄り宝厳寺の僧に所望され琵琶を奏でたと記されて
います。
一生に一度でいい、訪ねたかった竹生島。願い叶った旅。堪能しました。
今夜の泊は長浜。
9月30日 国宝彦根城の見学。



彦根城の美しさ、見事さ堪能しました。彦根城の天守は国宝。外観の美しさは見事の一言。
感動的です。日本の建築様式を取り入れた入母屋造り、壁と屋根の端を結ぶ、均整がとれた
三角形の破風が四つも造られ、その美しさに魅了されます。また、城本来の役割である、戦時
に際しての備えも各所に施されています。
彦根城は、徳川家康が慶長5年(1600年)9月、関ヶ原の戦いの後、西国からの攻め込みを
防ぐため、中山道と北国街道が交わる近江を固める必要から、慶長9年(1604年)最も信頼
出来る譜代の井伊家に、築城を命じ20年もの歳月をかけ元和18年(1622年)に完成しました。
以降、慶應4年(1868年)まで永きに亘り、井伊家が守り通しました。
明治期も無事に残り今日に至ります。お濠もきれいに整われ、ご城下も保存が行届いています。
安政年間、開国か攘夷かで国論を二分し、荒れた幕末動乱期、幕政の舵を執りつつ、過激派浪士
に桜田門外で襲われ、落命した13代城主井伊直弼。支えた家臣達の住居跡の石碑に刻まれた名を
そっと指でなぞり、往時を偲びました。
午後一番目は、多賀大社。近江一宮です。大鳥居、静かで荘厳な社殿が周囲を圧しています。


「お伊勢参らば お多賀へ参れ お伊勢 お多賀の子でござる」と歌われ、由緒では、天照大神をはじめ、
八百万の神々が琵琶湖の西を望む多賀の霊地にご鎮座されたとの言い伝えがあります。


豊臣秀吉も多賀大社を厚く信仰され、天正16年(1558年)米一万石を奉納し、大政所の病気平癒
を祈願し、事なきを得たとの事。写真にある太閤橋はその折の寄進によって造成されたと伝えられ
ています。本日、太閤橋を渡る事は出来ませんでした。
近江八幡のシンボルは、日牟禮八幡宮。



古くから近江商人の守護神として信仰を集め、奇祭「左義長まつり」「八幡まつり」は、
国の無形民俗文化財。資料によれば、創建は古く、成務天皇元年(131年)。戦国の武将
織田信長は、毎年盛大に行われる「左義長まつり」に、自ら仮装し参加していたとの事。
また、慶長5年(1600年)の関ケ原の戦いのあと、徳川家康が参詣し、御供領50石の
地を寄付。家光、家綱も御朱印を下すなど格式の高さを誇っています。
「近江八幡」は湖東にあって、戦国時代は豊臣秀次が治めていました。中山道。北国街道が交わり
琵琶湖の水運に恵まれ、交易の便もよく早くから商業都市として栄えていました。


中世から近代にかけて三大商人の一つ「近江商人」と呼ばれる程、商才があり「売りよし
買いよし 世間よし」の三方よしの商法で多くの商人が天秤棒を担いで、京、大坂、遠く
関東まで足を伸ばして商売し、財を為したことは有名。近江八幡の中心部にある「八幡堀」
の両岸には豪商の蔵が軒を連ね、夜ごと商人達の情報交換で酒席がにぎわったとの事。
今でもその面影が市内に多く現存して、過ぎし日の繁栄していた生活の一端をうかがい知る
事が出来ます。
「近江商人」とは聞いてはいましたが、今日初めて近江八幡を訪ね、商才、財力に納得しました。
大本山 石山寺
創建は天平19年(747年)。聖武天皇の命により建立されました。御本尊は如意輪観世音菩薩様、
我が家と同じ御本尊でご縁を感じうれしい。


東大門をくぐり石段を登ると本堂。平安時代、石山寺詣でがはやり貴族の女性たちも大勢が
参詣したとの事。
紫式部も参詣し、「源氏物語」の着想を得たと伝えられています。今でも本堂相の間の東端
にある二間の部屋は「源氏の間」として大切に保存されています。


近くには紫式部の供養塔も建てられています。石山寺は月見の名所で、平安時代から歌人、画人
や多くの人びと名月の観賞に訪れていたとも。
境内の一角には、後白河上皇も行幸された折り、造営された「月見亭」が建っていて、遙かに望まれる
琵琶湖の景色、名月の美しさを堪能された由。幾たびか改築され現存していています。

本堂前庭には巨岩の珪灰石が多数横たわり、石山寺の寺名となったとの事。
NHKの大河ドラマ「光る君へ」の好評で、夕方になっても見学者が絶えぬ
賑わいでした。
平安時代から続く、人気で賑わう石山寺詣、私もその一人として参詣出来、
満足!満足!
今夜の泊は大津。今回の旅行で初めて新選組に関わる宿場。
慶應元年(1865年)2月22日、突然に新選組総長の山南敬助が出奔、大津の宿で一人もの思いに
ふけって居るところ、追手となった沖田総司が追いつき、最後の一夜を語り明かし、翌23日早朝
に壬生の屯所に戻り、局中法度により切腹した事件が有りました。
ホテルの窓から望む琵琶湖は、しばし茜色の夕暮れ。山南、沖田が語り合った新選組での思い出話は?
あの日も、こんな情景がだったのか。万感の思いが込み上げてきました。