5月10日、久しぶりにカラッと晴れました。二ヶ月遅れとなりましたが三鷹の大澤山 龍源寺へ春彼岸のお墓参りにゆきました。
この春先、なにかと多忙で、なかなかお彼岸のお参りが出来ず、申し訳なかったのですが、ようやく本日お参りできました。
長く気にしていましたので、ご先祖様に先ずお詫び申し上げ、生花とお線香を供え、日頃のご恩に、頭を垂れ、手を合わせ、心静かにお礼を申し上げました。 やがて不思議と気持ちが落ち着き、心が和み、安らぐのを覚えました。
ご先祖様も気にしてされていたのでしょうか。
近藤勇も待ちかねていたようで「よく来た!よく来た!」と割れ鐘の様な大声で喜んでくれました。五代目勇五郎も「おめえも元気で、何よりだぁな」とニコニコ。
さっそく、今年8月の会津新選組展2022で勇武館が、天然理心流の演武披露を行う旨、報国しました。「そうか、そうか!天然理心流は気合いだ! 気合が出ねぇと形にならねぇぞ!」と気合が入りました。 嬉しい! 喜んでくれました。 有り難う御座いました。
龍源寺を出てから、自然と生家跡へ足が向きました。地神のお招きでしょうか。旧門のあたりで、手を合わせ、頭を垂れ挨拶しました。
生家跡から南の人見街道を渡ると近藤道場です。勇の婿養子となり、近藤を継いだ勇五郎(私の叔父)が住んでいた近藤道場撥雲館です。
大分痛んできましたが、往時の面影は残っています。この道場は、宮川の裏山から切り出した材木を利用して、門人達が建てました。
道場は、生家の南に建っていたので、勇五郎叔父さんを私達は「南の叔父さん、南の叔父さん」と呼んでいました。
この道場へ、大正時代、作家の子母沢寛氏がまだ、読売新聞の記者時代によく近藤勇の取材に来て「今、梅谷来て、みやげにケーキを持ってきた。皆んなで喰うべぇ」と言いながら縁側で話し込んでいた。と母の話し。
梅谷とは、梅谷松太郎氏の本名。因みに「子母沢寛」は作家になられた時のペンネーム。
勇五郎叔父さんは高齢になられても、竹刀を手放さず、道場に立つと背筋をピンと伸ばし胸を張って勇ましかった。とこれも母の話し。
生家跡から見える多摩の横山、そして丹沢連山、富士山。いろいろと思い出されて、すべてが懐かしい。
今日も有り難う御座いました。
いらっしゃいませ!ようこそ!
~ Isami Cafe ~ へ
本日のコーヒーは、「ペルーG1」です。
豆は、ペルークスコ県の標高1900m前後の高地で産出され、天日乾燥で精製。フローラルな香りで、スッキリとした味わいのなか、ほのかな甘みの余韻が感じられ、美味しくて嬉しい。
どうぞ、ごゆっくりお過ごし下さい。