11月23日、近藤圭二氏主宰「史誠会」の11月例会 「伊東甲子太郎・鈴木三樹三郎兄弟と芹澤鴨ゆかりの地」巡りに参加しました。
かねてより、芹沢鴨、平間重助、伊東甲子太郎、鈴木三樹三郎など新選組に在籍し、活躍した隊士は、お互い、常陸の国で意外に近い場所の石岡や霞ヶ浦周辺で生まれ、育ち、共に尊皇の志、厚い水戸学を学び、やがて上洛し、時期はずれましたが幕末の一時期、新選組で活躍した縁に、興味がありました。
近藤勇生家子孫である、私自身、現在は旧常陸の国、牛久藩に住み、彼等とは、いわば同郷の士です。不思議な縁を感じますね。
11月23日、JR石岡駅から、先ず鈴木家の菩提寺である、東耀寺を訪ね、墓所に手をあわせました。堂々とした立派なお墓です。
鈴木家は代々、石岡周辺を領する旗本 本堂家(石高8千石)の郷目付。伊東甲子太郎は長男で幼名、裕之。二男の鈴木三樹三郎は幼名、多門。剣術は北辰一刀流。元治元年、近藤勇に誘われて入隊、参謀を務めました。 その後はご存じの通り。
芹沢鴨の実家は行方市芹沢に在り、名家でした。代々尊皇の志が厚く、父は 貞幹。、なかなかの教養があり、水戸斎昭も領内巡察の折、芹沢家に立ち寄り、扇、鞭、金子、菓子等を与えたとの事です。
芹沢 鴨は幼名 玄太。結婚して木村継次となりました。継次も尊皇の精神を学び、剣術は神道無念流の戸ヶ崎熊太郎から師範免許を受けるほどでした。その後、水戸天狗党に加入しますが、分裂した為、退会。名前も芹沢鴨に戻し、平間重助らと共に、文久3年、浪士隊に参加。将軍警護のため上洛しました。 その後はご存じの通り。
芹沢 鴨は、芹沢家の菩提寺 「法眼寺」 で眠っています。立派な墓所です。
帰りに、新選組 平間重助の生家に立ち寄り、現ご当主の平間氏にご挨拶を申し上げ、
銘酒 「尽忠報国」をお土産に頂戴しました。美味しいお酒を有難うご座いました。
かすみがうら市歴史博物館にて開催されています特別展 「伊東甲子太郎と幕末の同志」 展を見学しました。 甲子太郎に関わる方々のお話、手紙、和歌など多数の資料が展示され、伊東甲子太郎の人物像を再認識しました。
芹澤鴨や伊東甲子太郎達も水戸学を学び、「尊皇・攘夷」の志を抱き上洛しました。純粋一途な彼らも、京での複雑な世情に翻弄され、流され道半ばにして斃れました。さぞかし無念だった事でしょう。
彼達も眺めたであろう、往時と変わらぬ、夕暮れの霞ヶ浦からの筑波山を見ながら帰宅しました。
「史誠会」の皆様、本日は有難うご座いました。次の機会もよろしくお願い申し上げます。