今年、1月29日~31日まで、初めて九州博多へ旅行に出ました。
母方の祖父の家は福岡秋月藩の祐f筆を務めていました。また、祖父は文久3年生まれ。勇達が将軍警護の為、上洛した年です。不思議な縁がありました。
と、いう訳で福岡は、縁の深い所です。今回、ようやく訪ねる事が出来ました。
29日、先ず、大宰府天満宮を御参りしました。
学問の神、誠心の神として崇敬されている大宰府天満宮は、時節柄、受験生と思しき方が多くお参りしていました。私も勇武館門人達の武術向上を祈願しました。
こち ふかば にほひ おこせよ うめのはな・・・・ 菅原道真公ゆかりの 「飛梅」 も満開で見頃でした。
名物の 「梅ヶ枝餅」 を抹茶でいただきました。 おいしーい! 勇叔父さんも こりゃーうめぇーな の一言。 ここでも甘党ですね。
博多へ戻って、夜の天神へ。屋台で一寸一杯のつもりが、とっ、とっとと・・・・・ついつい。
30日、今日も行ってみたかった下関、門司へ。
山口県下関。 長州ですね。 力むなー、この歳になっても。
先ず、平家と縁の深い赤間神社に参拝、安徳天皇御陵にお参りし手を合わせ、お心安らかにとお祈りしました。
僅か8歳にて、お隠れになった安徳天皇の御姿を偲びますと、深く憐れみを憶えるのは、私ばかりではないでしょう。
昭和天皇皇后陛下も、昭和33年4月、この地をお訪ねになり、幼くしてお隠れになられた安徳天皇を偲んで御和歌を詠まれました。
御製 「みなそこに しづみ給ひし 遠つ祖を 悲しとぞ思ふ 書見るたびに」
高台から望む壇ノ浦、波は穏やかに見えましたが。
少し歩いて、源平、雌雄を決する最後の海戦があった壇ノ浦へ。
資料によると、今から834年前のこの日、1185(寿永4年)年3月24日、源平、雌雄を決する最後の海戦がこの狭い海峡で行われました。
戦いは、午前6時頃から始まりました。緒戦は平家側が有利に展開しましたが、時が経つにしたがって潮の流れが変わり、次第に源氏側が優位になりました。源義経の巧みな戦術もあり、お昼頃、さしもの大海戦も終末をむかえました。 ・・・が。
この後、平家一門の悲劇が起こりました。
平家物語によりますと、まさかの敗戦に御座船に居た女官達は、驚き、悲しみ、絶望からつぎつぎと海へ身を投げたとあります。
また、二位尼(清盛の妻時子)も、いよいよと覚悟を決め、未だ8歳の幼帝安徳天皇を抱きしめ、「波の下にも都はありますよ」 と諭すと、うなずいた安徳天皇は、東へ向き、遠くの伊勢神宮へおじぎをし、西へ向き、西方浄土の方角に小さい白い手を合わせ、念仏を唱え、二位尼に抱きつきながら、共に千尋の波の下の都へと旅立ったとあります。
この一節、何度読んでも涙がこみ上げるのを禁じられません。痛ましく、悲しく、ものの哀れを誘います。
(平家を打ち破った源義経は、この4年後、1189年、奥州平泉の藤原泰衡に急襲され、衣川の館で自害したとあります。享年30歳)
壇ノ浦にてしばし、想いにを留めてから、関門トンネルを700メートル、20数分歩いて、九州門司へ。
ここは、九州側の関門トンネル出入り口近くにある和布刈神社。
壇ノ浦決戦の前日、1185(寿永4年)年3月23日、平家一門の武将ことごとく参集し、明日の決戦、必勝を祈願し、酒宴を催したと伝えられています。
狭い海峡を沢山の貨物船が行き来しています。海面を見ますと、確かに潮の流れも早いのが判ります。
この早い潮の流れに抗しながら、源平両水軍の激しく圧し合う戦いぶりが察しられます。
和布刈神社から、バスを少し乗ると門司港です。
明治、大正、昭和と北九州工業地帯と言うより、日本の産業を支えた一大商業・工業港湾都市でした。昭和30年代以降の急速な近代化により、商業、工業生産施設の変革を余儀なくされ、船舶の往来はあるものの、当時の勢いは後退しました。
門司港からは、先の戦争に200万人もの将兵、100万頭の軍馬が、大陸や南方の戦線へ出陣しましたが、戦後、将兵の半数が、軍馬の総ては再び故国の土を踏む事が出来ませんでしたと、公園の説明板に記してありました。
門司港から見える山々の姿は往時のままでしょう。勝って来るぞと勇ましく出征し、かの地で斃れ、戻り得なかった将兵達へ鎮魂の心をこめて手を合わせました。海面から吹いてくる冷たい風は、亡くなられた将兵たちの故国への想いを乗せているようで、温かく受け止めました。
現在、周辺一帯は門司港駅舎を初め、三井館、郵船館など往時の華やかな町並みに戻す為、建物、街路などの再開発工事が盛んです。
昼食に焼きカレーをいただきました。美味しかったですね。お薦めです。
このカレーは門司が発祥で名物との事です。駅前のレストラン、食堂などどこもトップメニューでした。
31日、宗像大社にお参りしました。
宗像大社は全国でも有数の古社です。
天照大神の御子である宗像三神は、大陸との要衝である、玄界灘に降臨し、日本国を守護しなさいとの神勅によって、沖ノ島、大島、宗像の地にまいり鎮めました。 と古事記、日本書紀の日本神話にあります。
とりわけ、沖ノ島は大和朝廷の国家祭祀の場で、過去数回の学術調査でも数多くの神宝が発見され、その数は8万点にも及ぶとの事です。
2017年には、世界文化遺産に登録されました。
一度はお参りし、神々にお近づきしておきたい大社です。
玉砂利を踏みながら、厳かな神殿にお参りしますと、邪気もきれいに洗い流され、身も心も清々しい気分になり、お参りして良かったと実感します。
家内安全、勇武館門人の安全、武術向上を心から祈願しました。
また、機会を創って、ぜひともお参りしたい大社です。有難う御座いました。
午後、博多へ戻り、心地よい座席に身を委ね、うとうとと1時間余で羽田。。夕方に無事、帰宅しました。
2泊3日の北九州の旅。永年の想いが実現した、楽しい旅でした。