4月1日 近藤周斎邦武のお墓参りをして来ました。

 4月1日、東京タワーの足元にある芝の金地院へ伺い、天然理心流 三代目近藤周斎邦武のお墓参りをして来ました。

 近藤周斎邦武について記述した書物は多くはありません。小島政孝先生が記された「武術 天然理心流 上」、子母澤 寛さんの「幕末奇談」や新選組関係、近藤勇関係の本の一部分に載っている位ですね。でも、よく読むと、とても参考になり勉強になります。                                                     

 周斎は寛政4年(1792年)に町田・小山の造り酒屋の三男として生まれ、20歳位から二代目近藤三助について天然理心流を学び、34,5歳で小山に道場を開きました。主に町田、日野、府中、調布、相模原などへ出稽古に赴き、門人を増やし勢力を伸ばしたと伝えられています。その後、天保10年(1839年)、江戸市ヶ谷柳町に試衛館道場を構えました。

 以後も、周斎は弟子を帯同して多摩の豪農層、名主宅への出稽古を続け、門人を増やして行きました。多くの門人の中に日野の井上松五郎、源三郎兄弟、調布の宮川勝五郎(近藤勇)達がいました。周斎の指導力、人の潜在能力を見抜く眼力、時勢を見通し実行する決断力はすばらしいかったと思います。
 特に、江戸市ヶ谷柳町に試衛館道場を構えた事。
     宮川勝五郎(近藤勇)を養子に迎えた事。
     多摩への出稽古で豪農層、有力名主との交流を深め人脈を築いた事。
など、その功績は特筆されるものがあります。

 文久元年(1861年)、近藤勇に四代目を譲った後の晩年は、四谷舟板横町に隠居し、「勇のお蔭で大名みてぇーな暮らしが出来る。」と喜んでいたそうです。
  慶応3年(1867年)75歳で亡くなりました。

 葬儀は、近藤勇が京都での諸事多忙の為、江戸へ帰れず、実家の島崎家や周斎の弟子達、試衛館の門人達により執り行われました。 (葬儀の書状が宮川家に現存)

 150年以上たった今でも、市ヶ谷柳町の試衛館道場跡は天然理心流の聖地であり、新選組ファンも一度は訪れる場所になっています。

 お墓参りの帰り、桜が満開の芝増上寺に立ち寄り、缶ビールなどいただき一休みしてから、徳川家康公を祀っている芝東照宮にお参りして帰宅しました。なんとも云えない心地よい安らぎを憶えました。

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